ドラゴンボール 鳥山明先生のコメントを見ながら振り返る、ドラゴンボールのジャンプ表紙の歴史②

ドラゴンボール

世界中で絶大な人気を誇る伝説の漫画『ドラゴンボール』。

「週刊少年ジャンプ」(集英社)にて1984年51号から1995年25号まで連載されてきた。

単行本の発行部数は完全版(2000万部)を含み国内で1億6000万部以上、全世界累計で2億6000万部を記録。

今現在でも最新映画が公開され「vジャンプ」では「ドラゴンボール超」が連載されている。

30周年以上愛され続けている『ドラゴンボール』をこの世に作られた伝説の漫画家鳥山明先生。

今回も『ドラゴンボール』が表紙を飾ったジャンプを、鳥山明先生が語られたコメントと共に振り返っていこうと思います。

見ていきましょう。

1988年WJ19号・29号・38号

この頃はまだ「戦闘漫画」としての絵のタッチが確立されていなかったと語ります。

この頃から悟空のギャグ漫画的な体型では非常に闘いにくいということを感じ始めていた鳥山明先生。

そこで関係者に思い切って大人の体型に変えようと相談し変わったと言われています。

少しずつ少しずつ、絵のタッチが変化し始めてきています。

1989年WJ1・2号・18号

この頃から初代担当編集者鳥嶋さんから2代目近藤さんに変わったと言われます。

鳥山明先生とは趣味があったらしく気がとても合ったそうです。

電話で趣味のことを話し始めるととても長く話されてたそうなので、その後仕事にとても影響が出たと笑いながら語っています。

1989年WJ21号・28号・37号・47号・1990年WJ3・4号・18号・21・22号

F1に関してはドイツに取材に行った際にとても興奮して描かれたそうです。

この頃からようやく先生自身が「戦闘漫画」というものの絵のタッチを遅ればせながら見つけ出したと言われています。

絵が少し丁寧になった割に、描くスピードが早くなったということです。

あまり戦闘漫画に興味がなかった先生も、ピッコロ編が終わったあたりから、戦闘漫画に目覚め「楽しい」と思えるようになったと語られています。

まとめ

今回は「戦闘漫画」としての絵がまだ確立されていなかった所から、「戦闘漫画」というものの絵のタッチを見つけ出された1988年WJ19号〜1990年WJ21・22号までを紹介させてもらいました。

自分は『ドラゴンボール』の女性キャラでは「チチ」が1番好きなので、沢山表紙に出ていることに感動しました。

フリーザと悟空の対峙しているような場面である、1990年WJ18号は男なら誰もが震えるような場面だと思います。

絵がとにかく上手すぎて感動です。

以上、ドラゴンボール 鳥山明先生のコメントを見ながら振り返る、ドラゴンボールのジャンプ表紙の歴史②、を書かせてもらいました。

ドラゴンボールの世界を追体験出来るゲームと原作漫画等です。

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