世界中で絶大な人気を誇る伝説の漫画「ドラゴンボール」。
「週刊少年ジャンプ」(集英社)にて1984年51号から1995年25号まで連載されてきた。
単行本の発行部数は完全版(2000万部)を含み国内で1億6000万部以上、全世界累計で2億6000万部を記録。
今現在でも最新映画が公開され「vジャンプ」では「ドラゴンボール超」が連載されている。
30周年以上愛され続けている「ドラゴンボール」をこの世に作られた伝説の漫画家鳥山明先生。
キャラクターを作る上での方針、物語の設定や構想はどういう考えから生まれたのか?
見ていきましょう。
扉絵やイラストに龍やメカが多く書かれていること
ドラゴンを描くのが好きと鳥山先生は語ります。
「存在は誰でも知っているが現実の存在ではないので好きに描くことが出来て、西洋でも東洋でも決まった形がなく正解がないので好きな形で描ける」と言われています。
『ドラゴンクエスト』のキャラクターデザインや原案を出されている先生は『ドラゴンボール』と合わせてめちゃくちゃドラゴンを描かれたらしく、龍を描くのが好きというのはやはり本当だということです。
②でも書きましたが、鳥山先生が考えるのは現実ではなく架空の世界。
この考えは鳥山先生が最初からずっと一貫していたことです。
神龍について
東洋の龍をベースにしていているがそのまま描くと複雑な感じで(毛とかがありイメージが違う)毎回描くのが大変ということで、和洋折衷ぽい感じにするのが良いと思ったそうです。
本場の神龍(ナメック星)のポルンガは「本場だからもっとすごい感じに!」みたいな所を出してみたかったと言います。
個性的なメカの形
メカの形は好きで、描くのも考えるのも好きと言われています。
鳥山先生は丸みある形のメカが多いのでそういうデザインが好きと思われがちですが、流行の逆を行きたかったと言われます。
(当時は車なんかもカクカクしたものが多くあえて丸っこいものを描きたくなっていた。今の車は流線型が多いのでカクカクしたものを描きたい。)
『ドラゴンボール』のルーツはカンフー映画
『ドラゴンボール』の連載前には『ドラゴンボーイ』という読み切りがあります。
このことに関しては『ドラゴンボール初期は人気がなかった?原点と人気爆増の理由』にも部分的に書かせてもらっています。
ジャッキーチェンが出演する映画「酔拳」を100回以上は見たという話を初代担当編集の鳥嶋さんに話した所、「そんなに好きなら描け」と言われたそうです。しかし先生は好きと描きたいは違うからあまり描きたくはなかったと笑いながら語ります。
一年続けばいい方と鳥山先生自身は思っていたそうですが、評判はあまり良くなく読者アンケートではまさかの15位になってしまいます。
鳥嶋さんに言われた一言「全然人気ないよ」この言葉が憎たらしかったと言います。
うっすら「少年漫画だから闘いを描けばその方が受けは良いだろう」と思っていたそうですが、冒険物が好きな鳥山先生にとってはそっちの方にチェンジするのは不本意だったと言います。
アンケートのことを散々言われて癪だったこともあり、闘いにチェンジして天下一武道会編を描き始めたことにより人気が上昇しドラゴンボールの人気は常に1位というトップに躍り出ます。
R・R軍(レッドリボン)編ではアラレちゃんを出したりコミカルな感じにして足掻いてみたそうです。
鳥山先生自身もその頃にはあまり納得がいかなかったということで、闘いに徹しようと心に決めたらしいです。
気持ち的にもずいぶん楽になったと語っています。
初期の頃から最終回のイメージはあったのか?
「それはなかった」とはっきり答えています。
最初から最後を決めていると、途中がどうしても最後の方に引きずられて軌道修正が出来なくなる。
最後だけは決めない方がいいといつも思っていると言われます。
そもそも最初はギャグ漫画の癖が残っていて、そんな先のことを考えなくてもいいのではという考えと、いろんな敵と場面も変わるので面白そうというぐらいの考えだったそうです。
闘って強くなりながら物語が進むという感じと語りました。
ピッコロ大魔王を書きながら、フリーザ編の構想を考えるということは?
全然考えていないと答えます。
ピッコロ大魔王を処理するだけで手一杯で、フリーザ編のことを考え始めたのはマジュニア(ピッコロ)の途中だったそうです。
アンケートの順位が常に1位になっていたことで「これは早々には終われそうにない」という臭いがしてきたので考え出したと語りました。
フリーザ編の前にはサイヤ人編もあります。
そこから繋がるフリーザ編を考えるだけですでに鳥山先生の凄さを感じさせます。
次々と強い敵が出てくる、その後の展開のイメージはあったのか?
闘いに特化させて描くしかないと思っていたが先の展開まで考えてはいなかったそうです。
鳥山先生本人も自分自身が描いているのに「ベジータが味方になってきた!凄い!」と思っていたそうです。
ピッコロもそういう展開になってきて驚いたと言っています。
まとめ
ドラゴンが描くのが好きで、カンフー映画を見まくっていた鳥山先生が『ドラゴンボール』を描くというのは運命だったのかも知れませんね。
先の展開を考えることがないというのは漫画家では中々ないのではないかと思うのですが、それが鳥山先生の凄い所だと思います。
キャラがカッコいいのも闘いも魅せられることが多いです。
男なら『ドラゴンボール』という漫画、アニメは生きているうちに絶対見るべきだと思います!
『ドラゴンボール』というコンテンツは永遠に続いていくと思います。
次は④を書いていきたいと思います。
以上ドラゴンボール 物語の源とは?③初期の頃最終回のイメージはあったのか?を書かせてもらいました。
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